photo@Peter Lindbergh
五感カフェmaquicoです。
今回は、ある雑誌の内容をみなさまへシェアしたいと思います。
「私はファッション写真家だが
ショーは見に行かないし、他者の作品も観ない。
私は常に自分に内部に降りていき、
そこで見つけたものを引っ張り出す。
実は40年間、シューティングという行為において
“メディテーション”を続けているのだ」
1944年11月23日、ドイツ生まれの写真家
70歳を過ぎてもなお現役の巨匠、
ピーター・リンドバーグ(Peter Lindbergh)の言葉です。
先日、このインタビュー記事を読んだとき
わたしは大いに共感しました。
記事のよると、昨年行った写真講習のことも書いてありました。
以下、記事よりそのまま選抜します。
「受講者にどうやって写真を撮っているのか?と尋ねても
他者の作品を参考にしているだけで
誰も何も考えていないことだけがわかった」
この道の先駆者、リンドバーグ氏。
インタビューの文面から、彼の写真に対する真摯さと同時に
若き創造者に対するどうしようもない苛立ちが
伝わってくるようでした。
「人は誰でも自分の中に何かが蓄積されているものだ。
一旦見つけたら無限に湧いてくる。
だが、誰もそこに行こうとしない。
誰もがダ・ヴィンチになれるのだが
それを引き出す術を知らない。
被写体との関係性も同様じゃないかな。
同じ「場所」にたどり着けば
その「場所」で二人の人間が何かを共に創造できる。
私はそうやってモデルたちを一緒に作ってきたのだと思う」
ここでの「場所」とは、前途した“メディテーション”のこと。
氏が本当に言いたかったのはなんだったのか。
誰でもたどり着けるのに、なぜ行こうとしないのか?
行っても何も引き出すパワーが出せないのか出ないのか・・・
きっとそのすべての意味を含むのではないかと思いました。
インタビュー会話はこう記されていました。
「良い写真を撮るには考えすぎてはいけない。
仕掛けすぎると、“にせもの”になってしまう。
写真はもっと自由に撮るべきだし、偶然性を大切にしたい。
例えば、砂漠に電信柱があったら
邪魔だと考えずにそれを生かしてしまう。
顔に影ができたら、その美しい偶然性を切り取る。
そうやっていくと何かマジックが生まれる」
photo@Peter Lindbergh
そう。
この感じだ。
どんな業界の方でも共通する感覚
それは、常にオープンであること、
そうして広がった向こうがわと
幾重にも連なりあう偶然を信じ
表現し続けるというエネルギー。
本棚にあったピーター・リンドバーグのハードカバーを
久々に取り出して
彼とモデルたちの輝かしい“メディテーション”を
幻を見るかのように眺めている春です。