「五感カフェ」maquicoです。
突然ですが最近、映画館へ行かれましたか?
視覚芸術の最高峰ともいえる映像とストーリー
感覚派の女性たちは必須なインプットではないでしょうか。
本日のコラムはかなりプライベートな映画のお話。
オススメ映画でもありますので
ご興味がございましたらぜひおつきあいくださいませ。
わたしの叔父は日本画家であり、京都の舞台絵師でもありました。
屏風仕立ての横幅の大きなサイズばかりなので
作品を見せてもらう時はいつも記録映像でした。
カタカタと音を立てるフィルムロールからコマが送られ
金屏風に浮かび上がる繊細な日本画の筆の線。
叔父の絵は、幼心にも優美で強く、艶やかに映りました。
また、アメリカ在住の叔母は写真と映像アートを仕事にしていたひとで
大きな映画館では上映しなようなインディーズ映像や
マンハッタンのアーティストたちが遊びで作った動画を編集したり
日本へ紹介するお仕事をしていました。
親戚が集まる日。
リビングに映写機や巨大スクリーン、スピーカーをセットして
叔父や叔母の作品を動画で観覧したり、無名の映画を観たり・・・
大人に混じって美しい世界と遊ぶ時間が楽しかったのを覚えています。
思えば、ユニークな環境で育ったわたし。
それゆえに、今でも映画館という一つの空間へ行くと
子供の頃のワクワクした気持ちとリンクします。
映像美へ陶酔する時間
わたしの快楽が覚醒する深い部分への次元ワープです。
光に敏感なのも、カメラワークでいつも目の前の事象を捉えていることも
きっとこの原点に関係しているのだと思います。
わたしが先週鑑賞したのはこの2作。
イルディコー・
あの色の出し方を学ぶだけでも見る価値があると断言してしまう
ハンガリー映画「心と体と」。
感覚重視の「五感カフェ」の読者さまならぜひ、
スクリーンで感動を味わってきてください。
繰り返し目に焼き付けたいシーンにもたくさん出逢うことができます。
わたしは、始終「どうやって撮ったのだろう?」
「ライトはどこから?」
「この画角、女性的だわ・・」
と脳内ひとりごと大会が繰り広げられて大忙し。
そんな心の声と対峙しなくてはならないのも楽しい時間です。
わたしが素晴らしい、と感じる作風とは
凄い映画とか、イケてるとかアレコレ賞を総なめ!とか
そんな世論は放置して、
映像の本質やストーリーの繊細さに集中できる
そんな作り手のセンスが伝わる映画のことです。
夢という無意識と現実の意識とのズレや曖昧さを
こんな風に描いてくれるなんて手放しで悦ばしい才能。
わたしは、この女性監督から
「死を美しく表現してもいいのだ」と許可をされた気分でした。
儚くてデリケートで
動物もひとも自然もそこに在る会話も
すべてがひとしく美しかった。
そして、もう一つ
ルカ・グァダニーノ監督の「君の名前で僕を呼んで」。
久しぶりにここまでピュアな映画ができたことに感謝したい気分です。
『Call Me by Your Name』を原作としたイタリア映画は
どこを撮っても余裕のあるカメラワークとゆったりとした時間の流れを追い、
眩しくて目を細めてしまうようなキラキラした光が
高揚感を呼び覚ましてくれます。
『モーリス』の監督で知られる
ジェームズ・アイヴォリーが脚本にたずさわっていることも
映像全体にゴージャスさを感じさせるのでしょう。
シックで乾いた空気感、ゆたかな色彩美
北イタリアの風の匂いを連想させるグレーディング
メリハリのる音楽の使い方
ヨーロッパ映画的な官能美です。
『美しいものは美しい
ね、みんなそう思うでしょ?
抵抗できないよね?』
映写機を通して彼らの声が聴こえる。
わたしもこうやって堂々とディティールを描ける人になりたい
と心から感じた今回の2作でした。
このまったく関連のない2作品の共通点は
「切なさ」の表現だと個人的に感じました。
実というと、人から言われることをまったく気にしないわたしが
「あなたの写真はいつも刹那的」
だと聞かされてから少しだけ意識していたキーワードです。
* * * * * *
「切なさ」の表現とは何か?と考えて見たけれど
今はまだ、わたしらしくこだわって現すことができません。
感情という不確かなものを
愛でもラブストーリーでもなく
友情でも生と死でも性でも
ドキュメンタリーでもなく
「刹那」であること「切ない」と感じるニュアンスだけをすくい取って
独自の作風にするというのもありかもしれませんね。
映画はまだ撮れそうもないから
せめて写真で描き切ってみようかなとイメージがよぎった午後でした。
あなたにとってのこだわり表現って何ですか?
「心と体と」公式サイト http://www.senlis.co.jp/kokoroto-karadato/
それでは良い連休をお過ごしください。
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