浄活美人読者のみなさま、こんにちは。

感性豊かなライフスタイルを応援する新感覚コラム、

「五感Café」北川マキ子です。

 

イメージという言葉は知っていても

あなたの作品は〇〇のようだ、と言われたら

どんな感情を持つでしょうか?

 

今回はそんなことをつらつらと綴ってみました。

 

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言葉は無力というなかで考えてみる

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「あなたの写真を見ていると、

まるで早朝の神社に足を踏み入れた時みたいに

背筋がゾワっとして

冷たい空気が頬を撫でるみたいなイメージがします」

ある日、ギャラリストにそう言われました。

 

その瞬間、それを聞いた「写真」は、

きっと悦んでいるだろうなあ、と。

 

何の疑いもなく、本当にそう思いながら

果たして「写真が悦ぶ」なんてあるのかどうか、

 

今頃になって冷静に振り返ってみるのですが

もちろん、答えはありません。

 

けれど、わたしたちの身の回り全ての物事には

存在している数だけなにかが宿っている、としたら

 

写真に写り込んだ現象や、ひとやものたちも

波動として伝わって残っているはずです。

 

ぼんやりとそんなことを考えていると

そのギャラリストはつづけて言いました。

 

「たとえば、、、

空気がクリアに澄んだ境内を歩いた日のことや

切れ味のいいナイフでカットした果物の切り口みたいに

シャープで瑞々しい断面を写真から想い起こします。

 

見る見る間にこぼれ落ちそうに不安定で

その緊張感がまたゾクっとさせてくれて

カラーでもモノクロームでもイメージは暗いのに

なぜだか、どうしても見てしまう……」

 

その声を聞きいて、やはり

目の前の写真たちは確かに悦んでいる、と実感しました。

 

撮り手のわたしが感じるのだから

難しいことは言わず、そのようにしておこうと思います。

 

みなさまは、そんなご経験がありますか?

 

 

 

あなたの絵は、「深い森の中に住む小さな生き物みたいに繊細で

すばっしっこいね」とか

 

あなたのテキストは

「メトロノームみたいに正確ででも心地よく委ねてしまう」とか。

 

詩的というよりは、ずっと現実的で

褒め言葉より嬉しく感じる表現。

 

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ゼロか、無限
ギリギリの選択がどれだけできるか?

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こんな時、五感を現すのは簡単ではないな、と思います。

 

言葉は無力、とも言いますが

実際に、言葉にできないような現実にどれだけ出逢い、

その言い難い虚しさや無力感さえも表現するかどうか、は

それぞれの感性で決まります。

 

わたしたちは強く引き寄せられるなにかや、

圧倒的な魅力を持つ存在を前に

その象徴となるものは

言語化することが難しいことを知っています。

 

さらに、その争うことのできない魅力とは、

安らかで心穏やかなものばかりではなく

むしろ、最も危険な領域にあることも気づいているのに

五感をどれだけ駆使してもそれらを伝えることは難しい。

 

だからこそ惹かれるものが誰にでもある、ということかも知れません。

 

 

 

この広い世界の中で

素晴らしく魅力的だけれど危険なものと

魅力を感じないけれど安全なもの前にして、

 

わたしたちのアンテナは、どちらにも迷いながら

大きく振れ、どちらに偏ることはなく

静かに響いてくる心の声にしたがうのでしょう。

 

 

ゼロか、無限くらい、ギリギリの選択をするその時こそ

本当の物事が見えてくるときもあります。

 

それぞれの感度で、宿し、生み、推敲し、意識し、哲学し、

ときどきひっくり返して

いまの、その思考の

凝り固まってしまった境界線を越えてゆけたら

すべてが新しく調和される

 

そんなイメージで、次回の構想を練っています。

 

あなたはいかがですか?

 

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