「五感カフェ」マキ子です。
ひだまりにそよぐ風が心地いい季節。
今日は、以前コミュニティで発信していた《IDEAの探し方》という
文章表現について書いたレポートをシェアします。
ご興味があれば読み進めてください。
最初に、よくいただくご質問から
わたしなりに考えていることをお伝えしたいと思います。
それは・・・
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「上手い文章」とはなんだろう?
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です。
「上手い文章」
あなたも一度はこう考える機会があったかと思います。
わたしが思う上手い文章とは、大きく2つに別けられると捉えています。
ひとつめは、言葉がよどみなく流れ
頭がすっきり理解できる「わかりやすい文章」。
もうひとつは、読んでいてなんども気づかされたり
ほっと胸があたたかくなったり、
感情移入してドキドするような「記憶に残る文章」です。
たとえば、長くても最後まで一気読みしてしまうような
作家もののエッセイはわかりやすいという点でも
「上手いな〜」と素直に思います。
また、読んでいて思わず赤ペンで線を引っぱってしまう表現が多い文章は、
勉強になり、印象的という意味でも上手いなと思います。
わたしはビジネス書は一切読まないのでわかりませんが
ベストセラーとして本屋さんで山積みになっているビジネス本を
立ち読みすることはあります。
このジャンルは作家という立場で文章を書いているわけではない
という場合が多いですが、
それでも「わかりやすい」という観点では非常に優れた方もいらっしゃいます。
また、ベストセラーを何冊も出版していらっしゃる方には
ゴーストライターなるものが存在していて
過去、誰でも書いているようなことを煮たり焼いたりして
言葉巧みに言い換えている内容が多いものです。
それでも新刊がでるというとすぐに目立つ場所に山積みにされ、
ついつい読みたく人間の心理をうまく突いているところは
プロモーションも含めて興味深い対象と言えるでしょう。
これら2つに共通していないようで感覚的にリンクしている部分は
「キャッチ」のような文章だと思っています。
わざわざメモをしなくても、スーッと脳に入って
その後も覚えているような文章は
キャッチコピーと言うよりは、素直に感情が動かされた証拠です。
動く、動かされる要素が入っている場合
ジャンルを問わず「上手い」と思うのです。
そんな心から納得する上手い文章は実は
身近なところでで出会うことが多いです。
作家の誰々さんと言いたいところですが、
わたしの場合、友人関係に文章の天才が多く
プロやアマチュアの境界線などどこにもないような気がするのです。
人気作家のなかには、ときどき
「上手いかもしれないけれど偏った感情」が見受けられ、
それが受け入れられないときもあります。
技術は素晴らしいけれど、世界観が好きになれないとか
そもそも苦手なテーマを書いているから上手く思えてしまうのかも・・・とか
さまざまな観点で読んでいると
なんだか疲れてしまい、本質的な文章そのものを感じることができません。
友人の場合は違います。
プロの作家ではないし環境も職種も違うけれど、
気心が知れ、ある程度その人となりがわかっていて安心できる存在。
興味があることやもの、よく使う言葉なども知っている
そんな知人が書くエッセイや随筆は
日々の情景の中で意外な表情を見せてくれます。
「え?そんな風に感じてたの?」
と、ひとつひとつの言葉に驚きつつ
その細やかな視点に感動してしまうことも多い。
だからわたしにとって「上手い文章」という括りは
本当はすぐ目の前の猫の子みたいに床にコロンと転がっていて、
日常的に愛でている存在だと思うのです。
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不得意を手放すとき
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わたしは以前、自分らしい文章を書けるように
作家の方に個人的に教えを頂いていました。
文章に対するわたしの個性をわかってくださった上で
先生からご指摘があったのは
論理的ではない、という痛い現実でした。
「感覚的で女性っぽく、描写力があるのはとても素晴らしい。
けれど、論理が欠如している文章に気をつけると数倍よくなる」
と真面目な面持ちで言われました。
それからは論理的な流れで書こうと気をつけてはいるのですが
ついつい、自分流に書いてしまいがちです。
カメラアイ(カメラレンズを通して描くというコンセプト)で綴ってきたので
文章に主語がない、というのがわたしの特徴でもあります。
それらを無意識に飛ばして書いてしまうような癖がついているのです。
悩んだ結果、不得意なことに注力せず得意な面を伸ばすように、
と先生からご提案がありました。
その勉強となったのが「キャッチコピーのような文章」でした。
確かに、主語がないし述語もすっ飛ばして考えてもいい。
感覚的で論理に縛られず、カメラアイ的かもしれない、
そう思い直していまもコツコツと書き続けています。
随筆が思想を書くことだとしたら
キャッチコピーとは、「商品の宣伝文句」のこと。
相反する文章表現をどう扱うのか?
それが大きな課題をなっているのですが
実際には広告のキャッチを書くことは現在皆無なので
わたしが目指すのは「キャッチコピーのような文章」になりえるほど
印象を残す文章です。
大きな印字で張り出したなら
誰にでもインパクトを与える直球のわかりやすさより
暇つぶしにさらりと読んでいたら、突然『?!』と
なんども読み返してそのページから視線が動かなくなってしまうような
メモを取ることの意味をなくしてしまうほど
言葉がヴィジュアル化して視覚てきに記憶に残るような・・・
そんなインパクトがある一節。
勿論、その境地になるには一生かかるだろうと思いますが
それでも憧れを憧れで終わらせないようにしていたいのが本音です。
では、どうしたらそれほど印象に残る文章を書けるのか。
それがアーティストの感性であり、
内部から溢れてくる自然な言葉だろうと思っています。
これは、どのような表現も同じ。
事象の在り方をどう見てどう捉えているか?です。
世間へ自己表現するのが「生きる」ということだと捉えれば
切り口、という見方もあるし、世界観とも言えます。
わたしは、言葉にしても写真にしても
自分から発した表現は《誰かに伝わった時のエネルギーの質》
だと思えばいい、そう考えてきました。
その純度が高ければ高いほど
心に深く刻み込まれるのではないでしょうか。
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誰かのハートに残せるような表現
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現在、表現はどんどん進化し、ジャンルはアメーバーのように流動的です。
グローバル化はすでに若年化し
以前は一握りの人たちだけが可能だった
世界を見据えた大きな意識が誰でも持てるようになりました。
逆説的に、自分の日常の半径5メートルに意識を集中することは
しっかりと目を開けていないと気づかないほど
曖昧にしか感じていないのかもしれません。
目の前の世界が猛スピードに変化していることすら気づかないほど
拡大してゆく時代だからこそ
自身の半径5メートル先と未知の領域を嗅ぎ分け、
自分の中で融合させていくことで
思考の範囲や感覚、感動、つまり自分の「世界」を
のびのびとゆたかに作って行けるのでしょう。
世界のAという事象と、
わたしの目の前にA”という事象。
それを自分のフィルターで丁寧にろ過しすっきり抽出できたとき
誰かのハートに残せるような表現が生まれると思っています。
そんな表現者になれるよう、日々精進あるのみです。
あなたはどんな文章が好きですか?
それを書いていますか?
あなただけのゆたかさ
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