感覚派コラム「五感カフェ」のマキ子です。

アートや音楽、写真や絵を見ることが好きな方は多いですね。

 

では、「好き」と言う感覚は、一体どういった意味をもち

深層では何を求めているのか考えたことはありますか?

 

例えば、わたしは、好きなアート、写真、音楽について

《わたしの時間を楽しくしてくれるためのものであり、

日々の心を温かくしてくれるなくてはならないもの》

と言うセオリーを持っています。

 

それはどう言うことなのか?

1冊の本から得た記憶をお伝えしたいと思います。

 


 

尊敬する小林秀雄氏の著書で「美を求める心」という

有名な作品があります。

 

エッセイのなかで「知識から入ることは多くの問題があり、疑問である

と指摘されています。

これにはわたしも同意見です。


小林氏は知識から入るのではなく

アートや音楽をたくさん「見たり聞いたり」することが

とても大切であると語りかけています。

 

具体的に言えば、わたしは写真を、アートを、

読書を、音楽を理解するのではなく味わいたい、ということ。

 

そして、彼の真意はあんちょこ本(入門書的書物)や

無責任な他人の言葉、他者の頭脳を借りて解ろうとしては駄目だ

 

とハッキリと述べている部分は誰かが繰り返し繰り返し

発言するべき言葉だろうと思うくらいです。

 

別の著書で、小林氏がこんなことを書いていました。


講演会で質問を受けると

「現代アート、現代音楽を理解するために

どのような本を読んだらよいでしょうか?」

という質問が多かったそう。

 

それに対して氏は「そんな便利なものはこの世にない」

と触れ、講演会中にキッパリと答えていました。

質問者はさぞバツが悪い思いをしただろうと思います。

 

そういうわたしにも

新しい作品を見たときの感想を伝えられなかった経験を思い出します。

 


アシスタント時代、師匠からよく聞かされた言葉があります。

 

「作品に触れて一言も語らず、

考えも出さない人は自分の教養を恥じなさい」。 

 

どんなにつまらないアイディアでも、批判でも、賛美でも

自分のいま現在持っているすべての知識で述べなさい、と。

 

それがどんなに「雑学」な知識であろうと

次になにを求めるかが必ず解り、

整理され知識を修得することに繋がるのだと教わりました。

 

写真学校で学んだ経験のないわたしは

心のどこかで、劣等感がありました。

そのため、自分ごときの意見を言うべきではない、と

無意識に感じていたのだと思います。

 

ですから、斬新な作品展やアトリエに出向いても戸惑うばかりで

長年、何も語れずにいました。

 

アーティストが集まる場所ではひとりコンプレックスを感じていたのです。

 

わたしは師匠の言葉を素直に受け止め、

なるべく多くアートや写真関連のバックナンバーを大量に手に入れ

毎日、ページをめくりました。

高価な作品集は古本屋をいくつもめぐって取り寄せてもらいました。

学生のころ体験できなかった、圧倒的な量を再現したかったのです。

写真集は唯一の教科書でした。

 


ある日、スタジオへ着くとわたしデスクの上に一冊の本が置いてありました。


それが小林秀雄氏の「美を求める心」です。


写真、アート、音楽を楽しむには「読む・見る・聞く・触れる・語り合う」


それを知識ではわかっていながら

自分の言葉にし、他者へ提示して初めて本質を楽しめる、ということを知りました。

 

けれど、まだ困難はたくさんありました。


言葉にするには、わたしはまだ未熟すぎたのです。

やはり、展示会やギャラリーで沈黙してしまう・・・


そんな姿を見た師匠は、ある日、師匠が

スタジオ近くのバーに誘ってくださいました。

 

「誰でもいいから大好きな作家をひとり作ってみなさい」とわたしに告げ

「でも、大物しかダメだよ」

と、ビンテージワインを美味しそうに飲みながらやさしい口調で微笑みました。


「人を撮るなら10年撮りたい人を撮りなさい。

 風景なら20年通いたくなるような場所を作って、

30年越えられそうもない作家を目指すとこと。


スーパーで買ったワインしか知らなければ

スーパーのワインの味だけで終わり

年代物のフランスワインを知れば

体内の味覚認識が変わるもの。

常に自分の五感に語りかけながら

染み込ませてゆくことでしか教養は得られない

わかるよね?」

 


日本人はパーティなどでアートの話が出来ないのでは?との俗説があります。


日本人の持つ奥ゆかしさの特異性からくるものかも知れないけれど


一方でそれは、自身の表現に対して

「『受売り』だと思い込んでいる習性からきている」と師匠は指摘していました。

 


 

その時から、わたしは考えを変えました。

もっとシンプルにすればいい、と。


自分の生活を豊かにするため

自分を解放するため

生活を楽しくしてくれるため

日々の心を温かくしてくれるため

愛を語るため

 

人の集まる場、季節、時間によって

アートや写真の楽しみ方はそれぞれなのだから


やがて、目指される側の立場になった時のために創作をしてゆくこと、

そこに感じた本当のことをおろそかにしてはダメだと言うことを。

 

今でもときどき

他者の心を豊かにするため

解放するため

愛を語れるための作品創りをするために「美を求める心」を手にとっています。

 

あなたの記憶の一冊は何ですか?

それは今も大切な言葉ですか?

 

 

 

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