この世界に、あの場所がある
そう思うだけで幸福な気持ちになります。
「五感カフェ」maquicoです。
今回は「心が満ちる」という感覚についてのコラムを掲載します。
きっと、みなさんのなかにも
自然と心が満ちる情景があるのではないでしょうか。
わたしは昔から水辺の風景が好きです。
水が流れる音や匂いが落ち着くのです。
それは、たぶん
わたしが川のある街で育ったからなのだろうと思います。
自然の中で長閑にたゆたう川も好きですし、
街の中を流れる川も気分がいい。
パリのセーヌ川みたいに、全く別の国に暮らす人びとが訪れても
威風堂々と受け取って流してくれるような存在感がある
おしゃれなマダムみたいな場所も好き。
そして、水が流れる音も落ち着きます。
ゆらゆらとした水の動きが持つ美しさと一緒に
その音が日々の気持ちに潤いを与えてくれて
いつもは忘れがちな、
ゆっくりとした時間の流れを想起させてくれるからです。
この「浄活美人」サイトのテーマでもある《流れ》
という概念を視覚化すると「川」がぴったりだなと最近気づきました。
たとえば、滝、では流れが早すぎてしまうのです。
天から地へ向かって一直線のループを描く滝の流れは
雄大で美しく大好きではありますが、
「自然と心が満ちる情景」という意味でいうとしっくりこない。
滝は、ダイナミックなアイデアを起こしたいときや
何か大きな仕事を終えた時や、転換期
混沌としたあたまをクリアにしたいときに最適だとわたしは思います。
今の自分自身に寄りそって
「どんな気分の時でも眺めていられる」そんな存在が
わたしにとって「川」のある情景なのでしょう。
絶えず流れる水面を眺めていると自然に本来のわたしが現れ
色んなことが空回りしてうまくいかないときでも
ゆっくりと取り戻され、落ち着いてくるのがわかります。
「ああ、そうだった。
流れに任せればいいのだったね」
川の流れに過ぎゆく時を重ねては、
自分のちっぽけな存在や抱えている問題の無意味さに気づかせてくれます。
そして、水の流れはそんな気持ちさえも
何ごともなかったかのように
きれいに流し去ってくれる大いなる存在なのです。
人はきっと、水の流れの揺るぎない力に惹かれるのだろうと思います。
その証拠に、水辺をしばらく眺めていた人の顔が
そうする前よりも、「何か」を流し去ったように
すがすがしい表情になって立ち去って行くのをなんども見ているから。
なんどもその瞬間を写真におさめてきたから。
目の前の人が「何か」を流し
浄化されてゆく姿を見ているというのは
自分ごとのように気持ちがいいものです。
その「何か」はわからないけれど
わからないことさえも心地よく感じます。
もしかしたらその川のある情景にいた人びとの
誰にも理解できていないような
奥深い場所にある集合無意識が
静かに循環しているのかもしれません。
人生において、水辺や水の流れがある風景を持っている人と
そうでない人とでは
生活のありようや心の情景はまったく異なるのでしょうか。
少なくとも、心に水脈を持って生きている人は
持っていない人の景色とは明らかに違う、
ということだけは、わたしにはわかります。
感動した風景をみれば、
その印象や記憶を脳裏から流し去ることはできないのと同じように
水は流れるだけではなく、その流れを人の心へと導き入れるもの。
それは血流のように繊細でわずかな水路だったとしても
いつしか、その人にとって川そのものが
大きく心に流れているのに気づく時が来るのでしょう。
その幸せと満たされた気持ちが
その後の生き方に大きく影響するのかもしれませんね。
わたしは、デスクの横にある場所の川のプリントを飾っています。
たとえ遠い場所の川だとしても、その揺るぎない姿は静かで強く
そのとき、朝靄の中シャッターを切った瞬間の情景が
わたしを潤してくれます。
あなたにもそんな風景があるでしょうか?
そこは樹々にかこまれた深い森かもしれないし
輝く太陽に彩られた真昼の海かもしれない
もしくは
雑踏のなかビルの隙間から見えた小さな空かもしれません。
心が満ちる、という感覚は
そんな一瞬に出逢った情景に似ています。
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五感カフェ 「夏をひろいあつめたweekend」
2章 ■ 8/26 (日曜)- じぶん覚醒ワーク 名古屋(栄)
詳細はしばらくお待ちくださいませ。
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